去年入院した時に病院の図書室にあった「桐島、部活やめるってよ」に衝撃を受けた私46歳、心は青春ど真ん中。
今ではスクールカーストなんて言葉も定着しランク分けされているけれど、私が学生の頃はそんなもの無かったのです。
ただ「お前はここまで!」っていう、残酷さだけが横行していました。
全ての行動や発言・私生活には見えない通行手形があって、手形のない者には制限があった。
同世代は未だにこの手形を大切に持っている人がいて、手形のない人は社会人になっても苦しめられる事になっています。
この見えない壁に悩む姿が刹那で美しくて、私たちは共感するのです。
作者はこの瞬間を切り取るのが非常に上手で、私たち読者を教室やダンスチームの一員にしてくれます。
桐島にもチアにも、ヒエラルキーのトップと底辺がきちんと存在し、どちらの作品にも弱い立場の人間が救われる表現があるのです。
はたしてリアルタイムで息苦しさを感じている人に作者の愛は伝わるのか。
伝わって欲しいと切に願います。
仕事でいつも言っているのは
「誰でも出来る仕事ではなく、みんなが嫌がり放置する仕事を自分のものにして。
それはあなたの評価と価値になる。」
誰でもいいから…と選ばれる人間より、あいつじゃなきゃだめだ!と選ばれたいじゃないですか。
それってヒエラルキーのトップにいる人間じゃないのよ。
だって考えて欲しいです。
「ありがち」な大衆感覚と「一般的」な好感度の高い容姿だからこそ、大衆に持ち上げられてトップにいる訳です。
そんな人、覚えてますか?
美人だった、かっこよかった?
記憶は薄れてませんか?
容姿の優れた人なんて大人になると結構増えますよね。
化粧したり好きなファッションに身を包んだりと、人は変身するんですから。
学校という閉鎖空間で忘れがちだけど、何かをするのに権利なんてないし、容姿や運動神経・成績なんて人間の価値を決めるものではない。外はもっと自由です。
でも、それをふまえた上で、あの頃の苦悩の一瞬というのは輝かしいと思うのです。